

Profile Masahiro Ueda

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上田 雅寛(Ueda Masahiro)プロフィール
生年:1956年(北海道・上士幌町)
活動拠点:北海道
概要
上田雅寛は、音楽・メディア・デザインという多分野にわたり、独自の芸術表現を
追求してきたアーティスト。
1980年代の日本のインディペンデントな芸術文化に大きな影響を与えた。
詩と実験芸術の出発点
1974年、詩人・慶光院美紗子氏が主宰する「無限アカデミー」に入校。詩誌『無限』では、
大岡信氏の推薦を受ける。早稲田大学や西荻窪ロフトでのポエトリー・リーディングを通じて、
音楽と朗読の実験的な表現を行った。
音楽とYLEM(イーレム)
1978年、自主制作映像の音楽制作を目的にスタジオ『META MEDIA 601』を設立。
1979年、日本初の完全自主制作カセットレーベル「YLEM(イーレム)」を創設。
1980年、自身のバンド「パーフェクト・マザー」を結成し、詩・ノイズ・エレクトロニクスを
融合した実験音楽を展開。
国際的な評価と活動
この活動は海外でも注目され、アメリカの音楽誌『EUROCK』ではアートグループとして紹介。
ロサンゼルスのFM局で特集が組まれる。イギリスの音楽誌『Sounds』『ZigZag』でも紹介され、
日本の前衛音楽シーンを牽引した。
メディア・アートとの融合
GAPWORKSと共にマルチメディア展示「BLUE YLEM展」を開催。詩・映像・音楽の融合表現を実践。
また「遊覧展」では映像作家たちとの展示を西荻窪、旧ボウリング場で実施。原宿ラフォーレでは
「ALTERNATEIV ANGLES」展を開催し松岡正剛,阿木譲,北村昌士,根本寿幸,戸田ツトム,佐野清彦
各氏らと音楽とメディアについてトークセッションを行い、実験的な芸術の場を開拓した。
視覚芸術と生命の探求
2022年、66歳にして初の個展《ルカ伝奇》を開催。帯広・六花亭本店3階『廊 弘文堂』にて、
生命と進化をテーマにした視覚芸術を発表。
個展《ルカ伝奇》とは、2000年に制作した《黒い火と赤い水の合意》から20年を経て、
新たな視点で概念を再解釈。最終普遍共通祖先(LUCA)の考えを中心に、
「生命の根源的エネルギーの視覚化」を試み、混沌と秩序の狭間にある生命の進化を表現した。
写真とデジタルリミックスの探求
2023年、詩・音楽・絵画・デザインの経験を生かし、新たに写真表現を開始。
写真をベースに デジタルリミックスを実験的に試み、ファーメンテーション(発酵)によって
想起される現象や、バクテリアやアーキアから始まる40億年の生命史をアナロジーとして扱う。
可視と不可視の境界をトレースし、リミックスすることで、物質と生命の記憶、それらの感覚、
さらに情報とゆらぎを視覚芸術として再構築。
内密の囁きと身体の揺らぎを重ね合わせ、新たな視覚世界を創造。
現在は、ECサイト上での代表的な販売作品群となっている。


TON AN ART
WORK CONCEPT

感覚の痕跡と「まだかたちにならない型」の探求
感覚の痕跡を、カメラという機械を通して光の軌跡として定着させる試み
私の作品は
こちら側(見る者の内側に生じる感覚)と、あちら側(見られる対象の内奥に実在する感覚)の間に
交換される、微細なゆらぎや輪郭をもたない印象を写し取ろうとするものです。
クオリアとゲシュタルト
この時、鍵概念になるのが「クオリア」と「ゲシュタルト」というふたつの知覚の質です。
「クオリア」とは、私たちが主観的に感じる「感覚質」のこと。
たとえば、「夕焼けの赤がなんだか切ない」「光の滲みが心に滲みる」
そのような言葉にしにくい感覚そのものです。それは物理的・視覚的な対象とは関係なく、
身体や心の中に立ち上がる純粋な質感です。
一方「ゲシュタルト」とは、ものの形や構造をひとまとまりとして知覚する仕組みで「形態質」
などといわれています。例えば、無数の点や線が人の顔に見えてしまうような
パターン認識的な知覚のまとまりかたです。
こちらはより視覚的で、対象との関係性のなかで「地」と「図」のように成立します。
平面の中に起こる“ズレ”と”カオス”の表情
私の作品ではクオリア的な「感覚質」と、ゲシュタルト的な「形態質」が写真の中で交雑します。
アナログカメラで撮影しデジタル変換を経ることで有機的な速度と物質的な速度のスケールの違いに
よって“ズレ”が生まれます。
このズレが形態の構造をわずかに破綻させて”カオス”や”オーダー”の表情を作品に刻み込むのです。
感じることと、見えてしまうこと
この”カオス”と”オーダー”は、知覚と認識が多様に衝突する場であり、
言葉にならない「感じ(フィール)」と「見える(ビュー)」とが乱雑に交差する領域です。
それは、かのクレーの名高い表現「見えるものを再現することではなく、見えるようにすること」
を意味していると思っています。
「Ton(トーン)」と環世界
「環世界」(知覚世界と作用世界が共同でつくり上げる世界像)は、
「抜き型」と「トーン」によってつくられていると見抜いたユクスキュルのように、 それぞれの
生物が身体ごとに備わる知覚の様式に応じて、 固有な世界像を自然の諸運動からアフォードされ
異なる世界が認識され構成されています。
私たち人間は、さらに言葉によるコミュニケーションという「環世界」を双対的に重ね合わせ
複雑で矛盾に満ちた世界を作り上げています。
しかし、そこにこそ芸術の起源があると、ドゥルーズは述べています。
「トーン」は、常に誰のそばにでもあります。 そこには「時」と「間」と「場」の遠い記憶の
カオス遍歴のような諸運動の力能が潜性しています。
私はその瞬間を・・・・静かに映し取ろうとしているのです。
2025.4 上田雅寛




